芸術、文化活動は、人間らしい生活をするために欠せないものです。映画は19世紀末に生まれた芸術、文化であり、それまでの文学、音楽、美術、演劇などの全ジャンルを総合し、その映像による独自の表現力と複製可能な機能によって大衆的なメディアとして発展してきました。
日本映画は1896年誕生以来、百年の歴史を持ち、芸術、文化のジャンルとして独自の継承発展をとげてきました。戦前、戦後の黄金時代には、その独創的表現力は国際的に評価され、世界の映画芸術に多大な影響を与えた日本の誇るべき芸術文化のひとつです。 テレビ、ビデオ、DVDなど多様な映像文化が国民生活に欠かせないマルチメディア時代と言われる現代においてもなお、日本映画は国民の精神生活に大きな影響力を持ち、その表現力、技術力は映像文化全体を支える土台であり、さらに発展継承させなければならないものです。
しかし、映画を製作するには多額の資金が必要です。日本映画が映像文化としてうけ継がれ発展するためには、どうしても産業として新しい展開の下に再生、拡充することが不可欠です。マルチメディア化によって国民が二次的に映画を鑑賞する機会が増大しても、映画を映画館で直接鑑賞する機会が失われては、映画は存在の基盤を失うことになります。
いまこそ映画を製作し、配給し、映画館で上映する仕組み(社会的な基盤)を維持することが必要であり、産業と文化が両輪となって発展することが求められています。
日本の映画産業は、ブロックブッキング体制を基盤に、1960年代初め頃まで隆盛を誇ってきました。しかしテレビを中心とする多メディアの発展、レジャーの多様化などによって映画産業は低落を始め、また映画各企業もそれに対して有効な手を打たず、ブロックブッキング体制に固執したまま、縮小再生産の経営方針をとり、製作現場の人減らし「合理化」、映画製作の外注化、撮影所の縮小・売却、映画館の閉鎖・売却など、極端なコストダウンを推進した結果、日本映画産業は衰退の一途をたどってきました。
1994年8月の文化庁「映画芸術振興に関する調査研究協力者会議」の報告では、日本の行政として初めて映画の芸術的価値を認めつつ、「 この状態が続けば、やがて日本映画が消滅するといった最悪の事態の到来も架空のものではなくなるおそれがある」と指摘しています。
また最近では、興行利益を第一に追求する外資系マルチプレックス・シアターの大量進出などにより、日本における映画文化の多様性も失われようとしています。一昨年(1996年)の映画統計(映連資料)によれば、映画館のスクリーン数は52増加し、1,828スクリーンになったにもかかわらず、入場者数はついに1億2千万人を下まわる(1億1,957万5,000人)最低記録となり、邦画の配収比率も、36.3%と後退しました。
昨年(1997年)は、配収の新記録を打ち立てた『もののけ姫』など、数本の映画のの大ヒットによって入場者数は増加に転じ、1億4,072万人に達しました。外資系マルチプレックス・シアターなどの急伸長によって、映画関数も1,884館となりました。 しかし、日本映画産業の基盤の脆弱さは変わらず、むしろいっそう危機的な状況に陥っています。
市場原理にゆだねて、このままの状況を放置するならば、日本映画の伝統は断絶し、国家的損失を招きかねません。
しかし世界各国では、先進国にかぎらず映画はますます重視され活性化の方向に歩みはじめています。日本でも、若い世代の中で映画作家、映画技術者をめざす人たちは数多く、 困難な製作条件にもかかわらず、個人的努力により国際的な評価を得て、その才能を示す人も生まれています。とりわけ昨年は、国際的映画祭で日本映画が連続してグランプリを受賞し、世界の注目を浴びました。
1996年6月通産省「シネマ活性化研究会」報告書は、こう述べています。「(映像関連産業の)市場拡大の可能性は、映画に対するニーズの高まりへの期待感につながる。これまで、テレビやビデオの登場によって衰退したかのように言われてきた映画産業であるが、それらのメディアにおいても映画に対するニーズが高いことは、テレビにおける劇映画の視聴率の高さ、ビデオ販売における劇映画のシェアの高さが証明している。映画に対する人々のニーズは、依然として強いのではないか」。
今この時点で、映画人と映画各社、映画興行者、映画関係団体、そして立法府や行政が協力して適切な支援策を実行すれば、国際的な文化産業として新たな日本映画の再生は可能です。また、日本映画は国際社会の中で人々の相互理解を形成するために貢献することもできるでしょう。
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