映 画 の 自 由 と 真
実 ネ ッ ト
ニューズレター (2001.3.9)より抜粋
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日本のアジア侵略を美化する
『ムルデカ17805』完成、試写会始まる!
東日本ハウスなどの製作グループが映画『プライド』の第2段として製作していた『ムルデカ17805』が完成し、3月6日から試写会が始まりました。
この映画の完成と軌を一にするかのように、自民党の野呂田予算委員長が「大東亜戦争によってアジアは独立できた」などと発言し、また「新しい歴史教科書をつくる会」の教科書が検定を合格する、という動きも出てきており、すでに中国や韓国などアジア諸国から厳しい批判の声が挙がっています。
『ムルデカ17805』の狙いは、製作者自らの発言が示すように、過去の侵略戦争についての国民の歴史認識を変え、右傾化の流れを加速しようとすることにあります。公開が近づけば、当然『ムルデカ17805』にも各界から厳しい批判が加えられるでしょう。
私たち「映画の自由と真実ネット」も、映画の自由と真実を守るために、大いに批判の声を挙げていきたいと思います。
● 『ムルデカ17805】とはどんな映画か
【ムルデカ=MERDEKA】とは───インドネシア語で「独立」を意味する言葉。
【17805】の意味───インドネシア独立宣言文に書き入れられた年号。日本の皇紀「2605年(=西暦1945年)8月17日」を日・月・年の順に並べたもの。
【物 語】
1941年12月8日、太平洋戦争開戦──島崎中尉属する南方戦線進攻部隊(第16軍)はオランダ領のジャワ島へ上陸、オランダ軍を降伏させ同地を占領した。島崎はそこに、インドネシアの青年たちを軍事教練する機関「青年道場」を創設、彼らに自分の力で独立を勝ち取ることを教える。しかし、やがて戦況は悪化していく……
1945年8月15日、日本敗戦。そして、もうひとつの戦いが始まった──<ムルデカ=独立>の気運が一気に湧き起こるインドネシア。しかし間もなく、オランダ・イギリスが、再びこの国を統治下に置くべくインドネシアに来攻、独立戦争が勃発した。島崎の教えを受けたインドネシアの青年たちは、真っ先に独立軍に身を投じた。島崎たちは戦犯として、オランダ軍に捕らえられ拷問を受ける。「青年道場」の教え子たちを助けたいという気持ちと、部下を日本へ復員させる責務との間で苦悩する島崎。やがて、捕虜虐待の罪を着せられ、宮田は処刑されてしまう。遺言は、「インドネシア独立に幸あれ」。インドネシアの同志たちの手で奇跡的に救出された島崎は、彼らとともに戦うことを決意する……
《映画『ムルデカ17805』宣伝用チラシより》
歴史偽造の「教科書」映画版
『ムルデカ17805』を見て
山 田 和 夫(ネット代表委員/映画評論家)
あの『プライド・運命の瞬間』の第2作"インドネシアの独立は日本のおかげ"という『ムルデカ17805』(監督/藤由紀夫)が完成、試写が始まった。予定通り5月12日(土)全国東宝邦画系で公開される。
試写を見ると、まずシナリオ通りであること。出だしはアジア・太平洋地域の地図に、A(米)B(英)C(中)D(蘭)のいわゆるABCD包囲陣に経済圧迫を加えられた大日本帝国は、「自在自衛」のため昭和16年12月8日、米・英に宣戦を布告した───とタイトルが出る。1941年のこの日、日本国民全員が聞かされた昭和天皇の開戦詔勅そのまま。いまアジア・太平洋戦争と呼ばれるように、中国大陸への侵略が泥沼に入り、南方資源を狙って対米英開戦に踏み切って破滅の道を走り始めた───その歴史的事実ははじめから完全に逆立ちさせられている。あの侵略戦争を「大東亜戦争」と呼ぶ自民党の野呂田・予算委員会委員長発言や、「新しい歴史教科書をつくる会」の教科書と全く同じ歴史感覚だ。
だからインドネシアのジャワ島に上陸した日本軍は、神のような軍隊となる。住民は昔からの伝説(北から黄色い人たちが救いに来るという)が実現したと、主人公の島崎中尉(山田純大)にひざまずき、おがむ。ジャワ占領の第16軍司令官今村均大将(津川雅彦)は、インドネシアの子どもたちに笑顔でお菓子を配り、住民を強圧しない軍政方針を語る。あとになると、酒をのんで女性を乱暴する軍人も出て来るけど、ほとんどはインドネシアをオランダから解放する「神のような軍隊」一色に塗りつぶす。
インドネシアの青年たちに軍事教練を施し、戦局が悪化すると、独立のためと称して「ペタ」(郷土防衛義勇軍)を組織する。島崎らは、独立のために戦える青年にきたえあげるため、猛訓練への反発を乗り切ってしごきにしごく。一時反発したインドネシアの青年が島崎らに心服するプロセスは、ハリウッド映画の軍隊ものによくあるパターン。そして日本が敗戦、島崎らはそうした青年たちの一緒に戦ってほしいという願いと、日本軍人の立場との板ばさみになって悩む。結局、再占領をくわだてるオランダ軍との戦い───独立戦争に島崎らは命がけで参加する。この戦いが映画の後半を占める。
その戦闘シーンは、乱射乱撃に血しぶきが散る刺激的な描写をこれでもか、これでもかと見せるけれど、大宣伝するインドネシア現地ロケの効果はほとんどゼロ。ひたすら島崎らが昔の時代劇のヒーローばりに絶叫し、日本刀を振り回して、大奮闘する姿を強調する。そして、彼らはインドネシア独立に命を捧げた英雄として、独立軍の生き残りたちから島崎の遺族が感謝されるのがラストだ。
この『ムルデカ』のネタになったと見られる終戦50周年国民委員会製作のビデオ『独立アジアの光』(1995)を見ると、インドネシアの学者や軍人が「日本のおかげで独立出来た」と証言している。ところが証言者を追跡取材すると、彼らは日本軍政の抑圧面も語っていたが、ビデオではカットされ、都合のいいところだけ編集されていたと語り、憤慨している(永井浩著『アジアはどう報道されてきたか』筑摩書房、1998年)。『ムルデカ』は全く同じ手法で、日本のインドネシア侵略と日本軍政の加害者的側面をほぼ完全に切り捨て、「日本軍はこんなに人間的であった」とひたすらに強調する。
たとえば、たしかにインドネシアの伝説があり、日本軍を当初住民が歓迎することもあったけれど、短期間に新しい侵略者、植民地支配者の本性を知ることになる。食料の徴発から生活が苦しくなり、若者は「ヘイホ」(兵補)といばれる補充兵に徴集され、日本軍の最前線に送られた。数千人が映画『戦場にかける橋』で有名な泰緬鉄道建設に「ロームシャ」(労務者)としてかり出されて、多くの犠牲者を出した。女性たちは「従軍慰安婦」という名の性奴隷として人間性をじゅうりんされた。その数は2万人を超える。「ペタ」のような住民の軍事組織も、戦局の悪化で日本軍が住民を防衛にかり出したもの。住民たちはその組織と経験を自分たちの独立の闘争に役立てたのであって、日本軍が独立のためにつくったわけではない。一部の日本兵が独立戦争に参加したことは事実だが、映画が描くように彼らがいなければ独立は達成出来なかったように描くことは、オランダ植民地時代から民族解放のたたかいを続けてきたインドネシア国民への侮辱に他ならない。「ヘイホ」とか「ロームシャ」といったいまわしい日本語が、いまだにインドネシア国民の間に生きていることはその証左だ。
つまり『ムルデカ』は、野呂田発言や歴史改ざんの歴史教科書と同じく、日本の侵略戦争を「アジア解放の戦い」と徹底的に美化し、とくに子どもたちや若者たちに、偽りの歴史を教え込む映画である。侵略戦争の否定は日本国憲法の前文に明記されているように、憲法の平和的・民主的条項の出発点である。歴史の偽造によって侵略戦争を美化することこそ、第9条をはじめ私たちが守り抜くべき大切な権利を破壊する第一歩である。
私たちが愛する日本映画が、そのような邪悪なたくらみに手を貸していいはずはない。日本映画人がアジアと世界の仲間に、私たちの良心の存在を示すためにも、こうした映画を許すわけにはいかないのである。
日本映画の自由と真実が危ない!
4・19「ムルデカ」を検証する集い
集会のお知らせ
日 時/4月19日(木)18:45〜20:50
場 所/文京シビックセンター
5F中小企業振興センター研修室AB
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